マイクロweb日記。日別に適当なメモ、感想、気分、思考等を残す。あと、嘘をつかない。ふぁけつrn。
全くの嘘。カードだけ見て効能がどう発揮されるかはまず分からん。表現が曖昧でどのようにも取れるように書かれているからな特別な効能を持つカードの方に、使い方が解りやすく書かれているため、説明時には基本的な流れだけで済み
応用力ってのがプログラムやスクリプト組んでどうこうだって言うんなら私は普通のユーザーだな。普通ってのがどういうものを指すのか分からんが、Web等について勉強したことなくただ利用するだけのユーザーということなら。勉強はしたつもりだけど、まだよく分からんことばかりだしな。応用力が若干違うので普通のユーザーとはちょっと話が合わない
なあるほど。確かにそういう節はあると思うな。着てるほうとしても何か和なことをしようかな、とか思ってみたりもするし。いやしないんだけどさ。世間一般の人は、和服は仕事か私生活で「和」がある人が着るモノ、と解釈している部分が多々ある。
それは困る。もっともっと普及してもらわないと。普段着として定着し、ユニクロやしまむらなんぞの田舎にも出店してる大手チェーンで普通に扱ってくれないと。だって大量消費されるアイテムじゃないと価格が下がんないし。粗悪物がはびこるのはイヤだけど背に腹は変えられぬ。ははは(笑)。いつまでたっても着物は「ファンのもの」で、世間一般には絶対に普及しない
突っ込みどころ満載。人気あるみたいだからもうちっとマシな記事書いて欲しいなあ。各要素がどういう役割を持つものかくらい、プロなんだからきちんと説明してほしいね。この説明で十分だと思ってるなら、はっきり言って勉強不足だろ。
超初心者って見出しで、この春を目前に何か新しいことしようとしてる人達を取り込みたいのだろうが。……はあ。
語彙拡張、シソーラス。「大きい」を引いた後「小さい」を引く等。うちでは食事時に食のことを話すことが多いから、まず食べたものを引くことから始めようかな。ちなみに昨日も寿司だった。寿司うまい。ロンドンの小学校の英語教育の様子を観てきたのですが、5歳、6歳ごろから、かなり、緻密で精密な、英語発音の練習(フォニックス)や語彙拡張のための辞書引きなどを展開していることに衝撃を受けました。生まれたときからイギリスに住んでいる子ども達に対しても、英語の学習はとても基礎的な部分から学習させるわけです。
あまりに短い鉛筆ばかりだと綺麗な字を書くことができない。ちびた鉛筆をいつまでも使うっていうのは、物を大切にするという視点から見れば素晴らしいこと。使いきったことをきちんとほめてあげて、サラの鉛筆を使うように教えておこう。
猛省……しても遅いが、私も妻も家でペンを持ったことが無い。私は私の親もそういう親だったので必然とそうなったといえる。家で机に向かう習慣……31年生きてきて一度も無いのはヤバいのかなあ。子供のしようもない自慢話のようだが、私は家で勉強したことがない。文字に興味のない子どもの家庭は、概して文字に関心がうすい。大人が文字を書いたり読んだりする場が少ないため、子どもは文字に関心を持つ場がない。あこがれも持たない。親が文字に興味がない場合、子どもの読み書きにも無関心になる。つまり、家庭での文字環境がよろしくないといってよい。
運動不足以外であれば食生活と加齢による基礎代謝の低下とか。筋量も意識してトレーニングをしていないならば年々確実に衰えていく。その上で食事量がそのままなら年を重ねるほど肥満に陥りやすくなる。あとは食事の内容。炭水化物と脂質の食事量に対する割合や食事の時間帯とか。飲酒はするのかとか。特にアルコールと脂質の組合せがよろしくない。確かかなり相性がいいらしく吸収される割合が増えるとか。
良い情報ありがとうございます。健康についてはとても不適当な感覚で付き合ってきたので、正直なところ運動だけやればいいのか不安に思っていました。
食事は確かに10代の頃から量も内容もあまり変わってないので、間違いなく食べすぎ。それに炭水化物も摂りすぎている。
酒はこの頃めっきり飲まなくなった。食事の時間帯は規則的だが、間食を食べるようになってしまった。それも深夜に。そう思考を巡らせてみると夕食後の生活リズムがバラバラだというのに気付く。睡眠時間も大いに関係しているだろう。
肥満は生活習慣病と言われているので、運動や食事だけでなく1日の全てが絡んでくる問題だ。習慣は習慣でも良い習慣を身につけるのがいいとか。私としては「始める」ことよりも「続ける」ことが重要であり、かつ難しい。ひとつずつ解決するしかないか。
車の事に相当詳しそうな人の意見。今日からやる。エンジンブレーキは出来る限り使わず、ATと同様の力・タイミングでブレーキを使う。エンジンブレーキなんて、車の内部のことを考えると、本当はやりたくないことなのですよね。「坂下りではないのなら、“誰がそんなことやるもんか”。」位の考えかたでよい
回答の中で何度も繰り返し説明されているのがこの「減速中のシフトダウン」。知らずによくやる行為なんですが、少しでも早いタイミングで加速しようとして、そのせいでエンジンやトランスミッションを痛めていただなんて……。ものぐさのアホ丸出しで本当に恥ずかしいです。あ、質問者は別の人ですがね。せっかくの、ランイン(run in)(慣らし運転)ということですので、「でしたら、減速中のシフトダウンはタブーでしょう!」ということになります。
自分で書くとしたら普通にリストのネストで書きそう。とか直後に書いてあって、じゃあ何のための例なんだろうとか云々。それにH1要素がやたら多いのも気になるがこれも例だから無視しとけってことなのかな。
うん、これいいですね。うちにも使ってない黒の兵児帯があったからそれで試してみようかな。でも流石に財布は無理だろうな、小銭いっぱい入れてるし。でも出歩く際もっと気になるのは車の乗車姿勢。帯が微妙に引っかかって座りづらいんだよね。んで帯がちょうど出っ張った腹んところに来て苦しいし。運転したりするんだけど、裾が引っかかるといけないから股のあたりまで着物をたくし上げて乗ってる。下駄履いたままペダル踏むのは絶対に無理だから裸足。うーん、車と着物って相性良くないなあ。いや、椅子と着物の相性か。角帯と比べて兵児帯は薄いからか、少しだけ伸縮性があるので出し入れするのも容易だし、お腹の部分にあるので着信音やバイブの振動もばっちり。ストラップをわざと兵児帯から出してやればワンポイントっぽいし、携帯以外のモノでも、幅を折り返して袋状にして締めてやれば落とす可能性はまずない
ありますね。大いに同意できます。有りです、有り。各界の専門家が書いた本というのは、デートの必勝本と同じで、「いちばん大切なところ」は何も教えてくれないものです。要は、「自分でかんがえろ」という一言を長々と言っているだけということに気付いてから長い間、その意味を自分で模索するようになったのであります。
「今、まったくゼロからスタートしなさい」と言われたとして、そのとき出来ることが本当の自分の価値だと思います。
きっと大事なのは、きちんと管理して計画を立て遂行することよりも、全てを繋ぎ止めてくれる自分の哲学や考え方を持つべきなんだと考えています。未来の環境や状況、そしてなにより自分自身は、変わり続けるものです。
あと10年しか自分の情熱や、親と周りから授かった力を試す機会が無いとしたら、どうだろうか。多分きっと明日すぐやるべきことは決まってくるし、今夜だってすぐに動きたくてうずうずして、ぜんぜん眠れなくなってくるかもしれません。
ぼくは交渉中に何度も、「お前には腹が立つ」と言われました。決して譲らないからです。
「交渉はふっかけだよ」
白雪の 一葉の船 霞みゆく
ただの趣味だからこそ必要最低限の働きを大きく見せる必要がある。大きく作って大きく見せるのは商業ゲームの持つ財力やその他の力があってこそ。個人制作では制作者の納得のいく範囲で手を抜けるところは極限まで抜くことも肝要。伝えたいことに必須のものとそうでないものとをしっかり把握し、管理することが大切。-特にマップについてこだわりがあるようですが、ポイントを教えて下さい。
グラを綺麗にして行くと、だんだんと情報の全てを絵で表さないと不自然になり、作業量が際限なく増えていきます。
簡素な表現で済ませつつ、プレイヤーの想像力に訴えかけて情報を伝えるようにすれば、作業量少なめで個人制作者に優しいけれど、ちょっと寂しい。
なわけでして私としては、手描き地図風マップの活用をお勧めしたい。
多少雑でも、それはそれで味が出ます。怪しいマークが描き込まれた絵地図なんてもう最高。 皆さんどうですか。
いやただの趣味ですが。
漢字や熟語は分解していくと必ず由来や縁のある意味が在るが、アルファベットにはそれが無い。上記のD、O、GにしてもDに何かの意味があって、それがOとGによって補完される、なんてことは無いわけで。覚えるにしても丸暗記というか、意味の予測しづらい文字列を抽象的に記憶するということがかなり面倒である。英単語教本が覚えにくい真の理由は「単語のスペルには意味がない」からです。
dog=犬
ですが、どうしてこのDとOとGの3つのアルファベットがつながると、ワンワンと吠えるしっぽのある動物を指すのか、意味が特にあるわけではありません。
言うのは簡単だが、やるとなるとかなり難しいだろうな。すぐ実行できそうでいて、効果が非常に優れているものは習慣になる。ぼくは留学の最初の半年は、日本語の本は読まない、メモは英語で取るなどと徹底するようにしました。
なるほど。だったら障害(者)を障碍(者)とわざわざ表記することないやん、とか思う。「子供」にしてもこの「障害」にしてもよく分からない理由で表記換えするのはいい加減止めて欲しいもの。言葉は自分のものではなく、みんなのものだという謙虚な意思があればこれほど勝手な行ないをしないだろうに。は大きな針でを突き刺し、祈りの効果を傷つけて、願いごとが実現するのを邪魔している形の字です。それで害には「きずつける、じゃまする、そこなう」という意味があり、そこなわれることによって「わざわい」が生まれるのです。
確かに不思議だ。何で付きぬけなかったのか。おそらく意味を理解してなかったからに違いない。意味を理解しながらこの形にしたなら、それはどういう理由からだろうか。私にはよく分からないな。旧字の字形では、上部の針の先はにまで達しています。達することによって、害することが出来たのです。今の常用漢字はその針先を折り棄てています。これではその祈りの効果を害することは不可能であり、そこなうという意味は出てきません。害という中国の字書にみえない不思議な字形を創出しています。
「」(さい)であったとは驚きだ。
「」(さい)とは、
とのこと。こういう未知のものを解き明かしたことを知った時に憶える感動を何と言えば良いのだろう。ただただ、素晴らしいとだけ。「」をどうして「サイ」と読むのでしょうか。それは誓いの文書を古い時代に載書(さいしょ)といったので、その文書を入れる器であるを「サイ」と読むのです。
- われわれのミッションは何か?
- われわれの顧客は誰か?
- 顧客にとっての価値は何か?
- われわれにとっての成果は何か?
- われわれの計画は何か?